【茶杓の銘】通年で使える禅語・無季の銘など 濃茶にも

茶杓 銘 松風 お茶の基礎知識
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お茶の稽古のときに茶杓などの銘を考えるのは、慣れないと難しいですよね。

このページでは銘の問答のときに参考になる「季節に関係なく使える銘」を挙げています。

茶道で使う銘は大きく分けると季節ごとに相応しそうな、いわゆる「風流銘」と呼ばれるものと、堅い感じになる禅語や漢詩などから取った季節感のない銘があります。

  • 1月~12月の季節ごとに使う銘
  • 季節感のない銘・堅い銘

「濃茶に使う茶杓の銘は堅い銘の方が良い」と先生から言われた事がある人もいるかと思いますので、堅い感じのする、禅語などが出典の銘+いつでも使える銘を紹介しています。

季節的に感じる銘も実は禅語からの出典であったりするので、本来はいつ使っても良いはずです。(禅語は花鳥風月の風流の表現をしているのでは無く、仏法・宇宙の真理の表現をしているので)

なのですが、ここではそういうのはややこしいので、季節を感じさせるようなものは挙げていません。

ちなみに、季節や月ごとに使えそうな銘は”月ごとの銘について書いたページ”がありますので、よかったら見てみてください。

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いつでも使える「銘」 茶杓・茶入・花入にもつけられます

関 かん

関は関所、閉じた門という意味。
雲門文偃の答えた「関」の一字。いわゆる「雲門の関」といわれるもの。
碧巌録の「翠巌眉毛」の公案から。

露 ろ

露はあらわになる、露呈するという意。
真理は隠れているのではなく、現前して露わになっている。

不識 ふしき

初祖達磨が梁の武帝に招かれ問答し、武帝が朕に対する者(達磨のこと)は誰ぞと聞いたときに達磨が言った言葉。
不識は知らないという意味。「碧巌録」の廓然無聖の公案から。

初祖 しょそ

初祖は禅宗では開祖の「達磨(だるま)」のこと。

六祖 ろくそ

初祖の達磨から数えて、第六番目の祖ということでたいてい「慧能(えのう)」の事。
中国唐代の人で、大鑑禅師ともいわれる。

無事 ぶじ

無事とは何もない、平常(びょうじょう)、無造作だということ。

四睡 しすい

豊干・寒山・拾得・虎 が寝ている様子。
禅の境涯を表している。

常盤 ときわ

常に変わらない岩。転じて永久不変なこと。

末広 すえひろ

次第に広がって、栄えていくこと。

瑞雲 ずいうん

めでたいことの前兆としてたなびく紫色の雲。

紫雲 しうん

紫色の雲、瑞雲。優れた君子が在位するときにあらわれるという。

和敬 わけい

人に親しみ、敬うこと。

好日 こうじつ

よい日、好ましい日、吉日。

佳日 かじつ

よい日、吉日。めでたい日。

千歳 ちとせ

千年、長い年月、永遠。 千登勢

和心 わしん

和らいだ心。一つにとけあい、一体になること。

松風 まつかぜ しょうふう

松をわたる風の音、釜の湯が沸く音。
仏の説法に例えたりもする。

松声 しょうせい

松風と同意、松聲、松籟、松韻。

聴松 ちょうしょう まつをきく

松にふく音を聞く。聴松風。

松寿 しょうじゅ

松樹は寿命が長いことから。樹が寿になっている。

青松 せいしょう

松は常緑でいつも青々として若々しいことから不変なもの、長生きな物としてたとえられる。

老松 おいまつ ろうしょう

樹齢の長い松。おめでたい意味で使われる。

高砂 たかさご

縁起の良い松を題材にした能の曲目。
長寿で愛情深い夫婦をたたえる。相生の松

謝茶 しゃちゃ しゃさ

お茶を頂き謝意をあらわすこと。謝意のため飲食を供すること。

如意 にょい

意の如く。意のまま、心のままになるということ。

古今 ここん

昔から今日まで。いつの時代も真理は不変。

無心 むしん

我などの余計なものを断ち切った、さっぱりとした赤ん坊の様な心。

吉祥 きっしょう きちじょう

めでたいしるし。

福寿 ふくじゅ

幸福と長寿。幸せで長命なこと。

閑居 かんきょ

世俗を離れ、煩悩に迷わされず閑に暮らすこと。

閑坐 かんざ

心を鎮めて坐ること。

不老 ふろう

老いないこと。不老不死。

彩鳳 さいほう

五色の羽を持つ鳳凰のこと。
鳳凰は徳の高い君子が世に出るときにあらわれるという。

知足 ちそく

足るを知る。老子道徳経の「足るを知る者は富む」から。

直心 じきしん

誠実でまっすぐな心。

慈眼 じがん

仏・菩薩が慈悲の心で衆生を見る目。慈愛のまなざし。

洗心 せんしん

心を洗い清めること。手や体を洗う時にも心も同時に洗う。

払子 ほっす 拂子

元々は獣毛や麻などの柔らかいものを束ねたもので、蚊や塵を払うためのもの。
中国では主に禅宗の導師が説法する際に装身具として手に持つ。

忘筌 ぼうせん

筌を忘れる。筌は漁具の事で魚を取る手段。荘子の「魚を得て筌を忘る」から。
手段は早く忘れた方が良い。目的と手段を取り違えてはいけない。

両忘 りょうぼう

両方忘れる。善悪などの対立する概念から解放された自由な境地。

清遊 せいゆう

世俗を離れ風流な遊びをする事。

三昧 ざんまい

心を一か所に集中すること。禅定に入って得る悟りの境地。

看脚下 かんきゃっか

足元を見なさいの意味。まずは自分の事からシッカリと。真実はスグそばにある。

照顧脚下 しょうこきゃっか

足元を顧みて見なさい。看脚下と同様の意味。

喫茶去 きっさこ

お茶を喫しなさいの意。
元はお茶を飲んで目を覚まして出直してこい!という様な意味あいの言葉。

破草鞋 はそうあい

破れたわらじのこと。長年の修行をした人。
修行の果てにボロボロになった草履→修行を経た無為の境地に至ったことを表す。

明歴々 めいれきれき

きわめてハッキリと明らかなこと。
真理は明らかになってすぐそこにある。明歴々露堂々

福禄寿 ふくろくじゅ

七福神の中の一人。寿老人と同一とされることもある。
頭が長く、ヒゲを生やし、長い杖を持っている。

主人公 しゅじんこう

誰もが根源的に持っている本来の自己、仏性。
中国唐代の瑞巌師彦が毎日自分に「主人公!」と呼びかけ「諾(だく)」と応えた話しが有名。

惺惺著 せいせいじゃく

「シッカリと目を覚ませよ」の意。無門関から。
「主人公!」と呼びかけた瑞巌は自分で「諾(はい)」と返事をし、「惺惺著(目を覚ましていろよ)」と呼びかけ、それにも自分で「諾」と答えたという話しから。

日々新 ひびにあらた

日々新たな気持ちで事に臨む。
四書の一つ「大学」の中の「日々新たにして、また日に新たなり」から

放下著 ほうげじゃく

手放せ、打ち捨てろの意。
悟りを得たいという欲望も打ち捨てる覚悟が大事。

無一物 むいちぶつ

何も無いの意。「本来無一物 何処惹塵埃」
慧能の「六祖壇経」から

勤払拭 つとめてふっしきせよ

常に塵がつかないように心を払い拭いなさい。
「六祖壇経」に登場する神秀の偈から

無尽蔵 むじんぞう

尽きることがない無限の功徳を有していること。

破沙盆 はしゃぼん はさぼん

仏の智慧を表す鏡とはどんなものかと問われて言ったのが「破沙盆」。
壊れたすり鉢のこと。使い物にならないモノ→老練した境涯 という禅語にわりとあるロジックになっている。景徳伝灯録

莫妄想 まくもうぞう

妄想するなかれ。余計なことを考えるなというような意味。
馬祖道一門下の無業が口癖として唱えたという。

吹毛剣 すいもうのけん

吹きかけられた毛でさえも切ってしまう様な鋭い剣。
仏の智慧の鋭さを表す。煩悩や執着を裁断する剣、師の教え。

閑古錐 かんこすい

古くて先端の摩耗した錐のこと。老古錐。
両忘の境涯に達した状態を、使い物にならないモノに例えて讃えている。

雪月花 せつげつか

四季の自然の美しさ。
つまらないことに思い惑わされなければ、世界は輝きだす。

八千代 やちよ

八千年。長い年月。

幾千代 いくちよ

たくさんの年代。何千代。

千年翠(緑) せんねんのみどり

永久ともいえる年月、変わらず緑をたもっている。
大事な物は不変である。

庵の友 いおりのとも いおのとも

質素なわび住まいで、共に時間をすごせる友人

日月長 じつげつながし

長い年月。時間を超越した。
「壷中日月長」 

千代の友 ちよのとも

いつまでも親しくしてくれる友人。

千代の栄 ちよのさかえ

いつまでも繁栄が続く。

教外別伝 きょうげべつでん

禅の悟りは経典や言葉を超えた別の物にある。

不立文字 ふりゅうもんじ

禅の悟りは文字で伝えられるようなものではない。

直指人心 じきしにんしん

外ではなく、自分の心の中に答えをもとめるもの。

見性成仏 けんしょうじょうぶつ

本来の自己に目覚めて、悟りを開け。

一期一会 いちごいちえ

一生に一度の事、出会い。

随処作主 ずいしょにしゅとなる

いつでも主体性を持って行動する。
随処作主 立処皆真 ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり

拈華微笑 ねんげみしょう

釈迦が蓮の花をひねると、摩訶迦葉がその意味を解してほほ笑んだ。
仏法の真理を以心伝心で体得したことを表す。

日々是好日 にちにちこれこうにち ひびこれこうじつ

毎日が最上の日である。
「碧巌録」から 雲門文偃

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