お茶をすると歴史が身近に 四ヶ伝・奥伝を習って伝統文化について考える

お茶の基礎知識
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茶道の稽古が進んでくると、唐物や伝来の道具を使用するという想定で点前をするという点前が出てきます。

裏千家のお茶では四ヶ伝の稽古に入ると、茶の湯に絡んだ日本の歴史、道具の歴史について少しづつ先生から教わることができると思います。

唐物というのは遅くとも江戸時代以前に日本に渡ってきた茶道具で、伝来というのは昔の誰かが所持していたとか、またそれが違う誰それの手に渡って現在に至って伝えられてきたよというような、その道具の来歴の事です。

私のような一般人が伝来の唐物道具を所持するということは、なかなか難しいものがありますが、稽古としてそのような伝来の道具の扱いを学んだり、伝来された道具の歴史やそれに付随するストーリ―などを勉強することはできます。
また、美術館級の茶道具は手に入らなくても、古い茶入や高麗茶碗などをある程度の値段で手に入れるということはできたりします。

お茶の点前の稽古が進むにともなって、歴史・伝統というものが日本文化の中でとても重要視されてきたということを感覚として理解していったり、実際に自分で所持することによって、自分が伝統文化の実践者になることができると思います。

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古い茶道具が残っているのは歴史・伝統を大事にする人がいたから

古い伝来の道具を所持するということは、古くからその家が続いてきたということを表したり、また将来に渡ってそういった貴重な茶道具を所持していくことができる家(財力や権力のある家)ということになります。

そういう家であれば社会的な信用も増しますし、教養の高さ、文化的素養というものを道具が物語ってくれます。
商談相手や同盟相手としてどこの誰ともわからない人間よりも、しっかりとした財産基盤や人間関係を持っている人間の方が信用出来ると考えるのは今日でも変わらないかと思います。

名物といわれる茶道具は権威や身分の象徴でもあり、価値保存のための財テクでもあったかもしれません。

いずれにしても古い茶道具は伝来がハッキリしていようとなかろうと、その物自体が大事にされてきたので今日まで現存しています。

でなければ今日までこれほどまでに古い茶道具がたくさんあるという状態にはなっていません。
一部の有名な名物道具たちの陰に多くの無名の古い道具たちがいます。
たとえば古い高麗茶碗ではあるものの、特に伝来はよくわからないというものは沢山あります。

誰が所持していたのかというのは確かによくわからない茶碗とはいえ、古い茶碗が自分ひとりで勝手に今日まで存在していたという事はあり得ませんので、じつは誰かが大切に現在まで守り伝えてくれた茶道具という事です。

江戸時代に茶道具を持っている人間というのが普通の庶民というのは考えづらいですので、大名や貴族、神官、僧侶、またそういった階級との交流のある豪商などが現在まで伝えてきてくれたという事です。
つまり、今はわからなくてもどっかしらの伝来が実はあるという事です。

そこに、有名茶人が箱書などをしていれば美術的価値や商品価値がグンと高まるのですが、それも来歴、つまり歴史が重視されるからこそです。

この茶道具は箱書をした茶人の審美眼や人生を通ってきた歴史があるんだなということで価値が高まるわけです。

箱書というとどうもすぐに道具茶だとか、箱書至上主義のように思われてしまい、お茶の精神性と対極なんではないかと捉えられがちですが、箱書というのは歴史や日常の記録の側面も持っています。
そういったことを考えると、箱書には昔の人の思いや生活の営みがあったんだなぁと感じることができると思います。

箱書には、いついつの時に誰それから拝領したよとか、これこれのときに誰それとの関係でこの道具を好んだよ、みたいな物が書かれていることがけっこうあります。
美術館の図録の後ろの方には道具や箱書についての解説が書いてありますので、奥伝くらいまで習っているかたは読んでおくと茶道具も身近に感じられるかと思います。

さて、伝来のある道具はもちろん大事にされてきましたが、お茶では目利きが選んだ新しい茶道具も大事にするという価値観もあります。

お茶には古さというのが重んじられると同時に、革新的な価値観も受け入れる土壌があります。
代表的な物に利休が好んだ樂茶碗や、遠州が選んだ中興名物なんかがあります。

とはいえ、これまでの価値観を否定し破壊するというようなものでは基本的にないと思います。

生産国には残っていない物も日本には残っている

生産された国にはもう残っていないけれども、日本には残っている文化財というもので有名な茶道具は曜変天目です。

生産された中国には何百年も守り伝えられてきた、つまり伝世品の曜変天目は現在では一つもありませんが、日本には国宝になっている曜変天目が3つあり、重文の曜変もあります。
もちろん全部伝世品です。

発掘された曜変天目は中国にもありますが、伝世品というのは誰かの手によって守り伝えられてきたもので、発掘されたものとは美術的価値も商品価値も完全に異なります。

また、日本では古い木製の仏像や古い木造建築が周りの東アジアの国と比べても非常に多く残っています。

日本が地震が非常に多く、台風その他の災害が多い国ということを考えると、多くの人の努力があってこそだと思います。

文化財の危機もたくさんあった

室町時代から現在まで残ってきている茶道具があるというのは、普通に生きている感覚ですと、ちょっと想像もできないくらいすごいことだと思います。
お茶でもやっていなければ、江戸時代以前に作られたものを触る機会というのはなかなか無いでしょう。

茶道の世界ではそれを手に取って鑑賞したり、口をつけたりすることができるというのですから、お茶というのは非常に特殊な世界だなと思います。

茶人が道具を鑑賞するだけでなく、茶事で使いながらしっかりと保存までしてきたという点は非常に興味深い点です。
茶人というのは、良いと思えばなんでも箱に仕舞って箱書をしてありがたがるという謎の習性があるなんて揶揄されることもありますが、文化財保存には意外にかなり役に立っているという事だと思います。

そんな茶道具や美術品ですが、存在の危機に陥ったことが結構あります。

お茶が一番流行っていた時代は信長・秀吉のいた戦国時代ですが、いわば内戦状態ですので多くの物が失われました。
信長が討たれた本能寺の変では有名な名物道具の多くが失われたといわれます。

また、江戸時代が終わり明治時代に入ると、それまで大名家が所持していた茶道具・美術品を持っていられる余裕がなくなり、多くの道具が売り立てられました。
この売り立てにより、数寄者といわれる人たちが道具が買った結果、美術館で現代の私のような庶民が名物道具を鑑賞することが出来るようになったわけです。
とはいえ、この数寄者たちが買っていなければ一体どうなっていたのか恐ろしいところです。

さらに明治に入ってすぐの廃仏毀釈の時には、お寺に保存されていた仏像その他のお宝などが、まるで粗大ごみのように捨てられ、たき火の薪になっていたというような話も各地で残っています。
東博に法隆寺の宝物が多く残っているのも、皇室に献上することにより文化財を守ろうとした証といわれます。
廃仏毀釈によって多くの文化財は海外に流出し、文化的な損失は計り知れません。

大正時代には関東大震災がありましたので、この時もたくさんの文化財・茶道具が失われました。

さらには、戦争中の全国の都市・市街地への空襲がありました。
日本全国の都市で空襲が無かったといわれる箇所はほんのごく一部で、市街地の99%以上が焼失したという都市もあります。
戦前までは御本茶碗なんかはキズが無くて当たり前だった、なんて言われていたというのを聞いたことがありますので、かなり茶道具も影響を受けたと思われます。

そういった様々な困難を乗り越えて今の文化財や茶道具がありますので、古いものというのは大事にしなければ一瞬で無くなってしまうものだと緊張感を持たないといけないなと感じます。
新しい流行に乗って古いものを大事にしなかった廃仏毀釈のような悪い前例は真似しないようにしなければなりません。

まとめ 守る努力がなくなればあっという間になくなる

茶道具とは直接関係はないですが最近、国会で皇室典範の改正が議論されていました。
大幅な改正というのは戦後初めてという事です。

この改正があって感じたのは、国会議員においてすら日本の歴史や重みというものについての理解や想像力、絶対に守らなくてはならないという使命感を持った人間がほとんどないのだなということです。

こういったことは美術館の経営が苦しくなってきているという事とも無関係では無いでしょう。

日本の行く末を左右する国会議員の方には、真面目にお茶でもやって名物の道具や伝来の道具などについて勉強する機会を作ってほしいと思ったりします。
べつにお茶でなくても良いとは思いますが、少なくとも歴史・文化・遺産というのは教科書に書いてあるただの文章ではなく、現在の自分の生活・文化・生き方・国の有り方に関係しているという想像力を持てる機会があれば良いなと思います。

古い茶道具を持ったりしますと、「所持している自分はほんのいっときこの道具を所持させてもらっているので、大事に次世代に繋がなくては」という感覚も出たりするのですが、「2千年もの長い日本の歴史のほんのいっとき国政を預からせてもらってる」とか「歴史の中のほんの短いあいだ国会議員をさせてもらっている」という感覚を持った国会議員はほぼいないという現実を見せつけられたなと感じます。

茶道具や文化財などの物とは違って、国体やこれまで守ってきた伝統というものは、形のあるわかりやすいものでは無いので、イマイチ守り続けようとか、大事にしようという感覚が無いのかもしれません。

むしろ、「男女平等の現在に何を言っているんだ?国の伝統や歴史など過去の遺物だ、ブチ壊してやれ」と思っている議員も多いんじゃないかと邪推しています。

日本という国に対しての好き嫌いやイデオロギーの違いというのもあるのでしょう。
しかし一つ言えるのは、伝統や文化というものを壊すのは意外に簡単ですが、一度壊せば元にはもどりません。
現在の一時の価値観で日本そのものの歴史ともいえる皇統を根底から破壊してしまいかねない決定をするということが恐ろしいなと感じます。

連続性が途絶えれば今まで二千年にも渡って守られてきたものは無くなります。
もう一度同じことをしようとすれば、また新たに二千年という時間が必要です。
そのときには元々持っていたものを続けていれば四千年だったという事です。

現在はいろいろな価値観があり、考え方も多様ですが、長く先人たちに守られ続けたという以上はそれを守っていこうとする方が日本人的謙虚さなのではないだろうか、と思います。

茶道を通して茶の湯の歴史や茶道具の伝来などを勉強するとともに、日本の歴史、文化、特殊性などを私も勉強していかなければいけないなと思っています。

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