「炉開き」の亥の子餅・ぜんざい・さんべ どんな意味が?

炉 お茶の基礎知識
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ある程度の期間お茶を習っていると、「炉開きのときに亥の子餅を食べるのはなぜですか?」なんて先生には聞きづらくなってしまったりすると思います。

今回はそういった、炉開きの頃にお茶で言われるうんちくについてです。

  • 亥の月に炉を開くのはなぜ?
  • 亥の子餅を食べるのはなぜ?
  • ぜんざいを食べるのはなぜ?
  • 「さんべ」って何?
  • 一陽来復って?

これらについて書きたいと思います。

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亥の月に炉を開くのはなぜ?

昔はお茶の開炉のみならず、炬燵、火鉢などの暖をとる道具を使うのは亥の月(陰暦十月で今の11月頃)、亥の日に使い始める習慣がありました。

江戸時代には亥の月の最初の亥の日には武士階級が、二番目の亥の日には町衆が炬燵の使い始めの日としたそうです。

それではなぜ亥の月、亥の日が良いのかということですが、少し亥について説明が必要かと思います。

「亥(い)」というのはもちろん十二支の中の一つです。

昔は十二支というのは年、月、日、時間、方位などを表すのに一般的に使われており例えば

  • 陰暦十月は亥の月
  • 亥の刻は今の21時頃~23時頃
  • 亥の方角は北北西

という感じで使われていました。
(乾(いぬい)の方角とか言われるのを聞いたことがあると思いますが、戌(いぬ)と亥(い)の中間の方角つまり、北西(乾)=戌+亥のことを指していたりします。)

さて、その「亥」などの十二支を五行と陰陽と旧暦の月に対応させたものがコレです。

十二支と陰陽・五行・月
十二支
陰陽
五行
陰暦の月 十一月 十二月 一月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月

亥の欄を見ていただくと陰陽では陰、五行では水、陰暦では十月(今の11月頃)になっています。

「亥の月(今の11月ころ)」は陰陽では陰が極まる月で、その次の「子の月(今の12月頃)」は冬至が来て一陽来復で陽が生じます。

五行の相剋の関係では「亥」の”水”は火に剋 (か) つということになるので、要するに「亥」には火伏せの意味があります。

つまり、亥の月亥の日に炉を開けるのは火事にならないようおまじない的な意味があるという事です。

ひぶせ【火伏せ/火防】

火災を防ぐこと。特に、神仏が霊力によって火災を防ぐこと。火よけ。「—の神」「—のお札 (ふだ) 」

デジタル大辞泉(小学館)

また、猪は火伏の神様である愛宕神社の使いという事で、火鉢や炬燵の使い始めには亥の月、亥の日がふさわしいとされるという話しもあります。

愛宕神社の愛宕山は京都御所から見ると北西の方角で亥の方角と言えなくもないのは面白いです。

いずれにせよ、昔は火事というものは非常に恐れられていましたので、亥(猪)の不思議な力で以って火の用心できれば嬉しいわけです。

神社・仏閣などで見られる猪の目で火伏のまじないをしているのと似ていますね。

とはいえ、炉を開くのは亥の月、亥の日でなければいけないという事ではないです。
利休は「柚子の色づくを見て炉を開けよ」と言ったという事ですし、「年の若い者は遅めに開けるべきだ」という事もいわれますので、必ずこの日に開けなければいけないということはありません。

亥の子餅を食べるのはなぜ?

開炉の時期に亥の子餅(玄猪餅)を食べるのは、亥の月亥の日に餅を食べると万病を除くという古代中国の風習が日本に伝わった事からの習慣です。

玄猪祝の行事は民間で行われていたものが、宇多天皇の時代に宮中行事として行われるようになったようで、源氏物語にも亥の子餅の記載があり、また鎌倉以降の武家の間でも行われています。

つまり、”亥の月亥の日というのがお茶の開炉の時期と被っているので、稽古場の炉開きのときにみんなで亥の子餅を食べることが定番になった”ということですね。
炉を開くということ自体とはあまり関係が無いような気もします。

さて、亥の子餅は亥の月亥の日にいつからか亥の刻という要素も加わり、多産の猪にちなんで子孫繁栄するという要素も入ってきて非常に有難い感じのお餅です。

亥の子餅には、能勢から献上された亥の子餅(能勢餅)という物があり、伝承では摂津の能勢餅(古くは山猪)は応神天皇の時代から献上されていたとか、およそ千年ばかり前からとか、いろいろと言われるようです。

名称についても亥の子餅、玄猪、厳重、御成切などがあり、大きさも現在我々が茶席で食べるような大きさではなく碁石ほどの大きさという記述もあったりで、この日に食べる餅に関してはかなり複雑です。

後水尾天皇の存命中の記録に宮中の玄猪餅についての記載が詳しく載っているものがあります。

朝に天皇へ供された御厳重(玄猪餅)に天皇が息をかけられ、それを臣下に下賜されています。
玄猪餅の色は三種類で、黒(ごま)、赤(小豆)、白(栗)の餅があり、
公卿は黒と白、殿上人は赤、五位殿上人以下は白、
女房上臈は黒、中臈は赤、下臈は白、などなど身分によって分けられていたりします。

『後水尾院當時年中行事』
亥の子、亥に當る日なり、朝アシタ御厳重を供ず、御息をかけらる、夫を人々の申出すに従ひて給はる也、
御所々々親王方、門跡方、比丘尼衆、大臣等、其外番衆、八幡別當、醫師等にいたるまで、小高檀紙に包、小角に据ゑ、水引にて結ユひて取り出、
内々の男衆、院の女中、御所々々の上臈、同乳母などの申出すは、椙原に包て出さる、杉原包みたるは、小角にも据わらす也、
畢竟或は賞翫の人(緑水庵註:至極の人・尊重すべき人)、或は外様トザマ人には、高檀紙に包たるを給はるなり、
包みの中に入イる物は、初度は菊としのぶと、中度は紅葉としのぶと、三度めは鴨脚としのぶとなり、鴨脚の葉に、申出す人の名を書て、包み紙に差し挟むなり、
御厳重の色は、公卿たる迄は黒白品々、殿上人は赤、五位殿上人已下は白、兒は赤、地下は白、花ぞく(緑水庵註:清華の一族)の人は三度一度も、二度に一度も赤は黒、白キは赤を給はる也、家を賞翫の故なり、女中は上臈の限りは黒、中臈は赤、下臈は白、(略)
又后はおはしまさぬ時も、后の御料とて平の御盤に、土器三ツ据ゑて、御厳重三色を供へて、御障子の内に置く、内侍ナイシ単衣ぎぬ着て持て參る、菊の綿の類ひなり、

緑水庵ブログ

下賜される餅の包みが玄猪包です。

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玄猪包は最初の亥の日には菊と忍草、二番目の亥の日には紅葉と忍草、三度目の亥の日は銀杏の葉と忍草を入れて、檀紙で包み(紙も身分によって異なる)、外側の銀杏の葉に下賜される人の名前を書いて挟み水引を掛けます。
有名な野々村仁清の「玄猪包香合」はこの玄猪包を模した香合になっています。
茶道具の由来を知ると面白いですね。

玄猪の祝に関連して、裏千家の八代目一燈の好で玄猪臼水指とか、つくつく臼水指とか言われる水指があります。

これは宮様より拝領した物を水指としたといわれるもので、蓋の摘みは杵の形でカワイイ感じです。
天皇が亥の方角を向いて搗く、小さい臼杵(つくつく)にちなんだ水指なので、この水指を玄猪の時期に使うのはピッタリかもしれません。

宮中で天皇が搗く神事を再現したお祭が現在にもあります。
京都御所のお隣、護王神社では毎年11月1日に亥子祭を行っていてそこでは宮中での御玄猪を再現したおつき式が行われています。

ぜんざいを食べるのはなぜ?

ぜんざいは漢字で書くと善哉。「よきかな」とも読めます。
これは

 一休宗純が餅の入ったあんこの汁を飲んだ時に、「善哉此汁(よきかなこの汁)」と言ったところから、とか言われたりします。

またぜんざいの名前の由来は他に

 陰暦十月は出雲では神在月と言われ、その時の神事で供される「神在餅(じんざいもち)」がなまって「ずんざい」→「ぜんざい」から名前が来ている、とか

さらに

 あずき餅をお湯で自由(自在に)に薄めて作るところから、「自在餅(じざいもち)」→「ぜんざい」 になった

なんていう話しがあります。

という事を考えると、開炉の時期にお茶人がぜんざいを食べるのは、神在月の時期と開炉の時期の重なる出雲発祥の説と関係が深そうです。

さらには、亥の月、亥の日で陰の強い日なので、陽である小豆を食べて陰陽の和合をはかるなんて話しもあります。
が、小豆は本当に陽の食べ物なのか、ちょっと疑問がありますが、赤色のことかもしれません。

ぜんざいは黒文字と赤杉の箸で頂くということがお茶の世界でよく見られ、お出しする時には黒文字が手前で、赤杉を向こうにして出します。

ちなみに、関西では粒あんで汁気のあるものがぜんざい、関東ではつぶあんでもこしあんでも汁気のないものをぜんざいとしているようです。

小豆の赤い色には昔は厄除けや魔除け、疫病除けの力があるとされてきました。
赤飯の赤と考え方は同じ感じですね。
赤には魔除けの力があるというのは結構色々なところで登場してくる考え方ですので、覚えておくと役に立つかもしれません。

さんべって何?

開炉の時期によく言われる「三べ(さんべ)」というのは

  • いんべ(伊部)
  • おりべ(織部)
  • ふくべ(瓢)

の三つの「べ」のつく物です。
これらの「さんべ」を開炉の時に取り合わせると良いと言われていたりします。

ちなみに伊部というのは備前焼のことで、狭義には表面に塗り土をして光沢を出した備前焼のことです。

織部のはじき香合、備前の花入・水指・灰器、新瓢の炭斗なんかが使う道具の定番になっています。

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そもそもなぜさんべを開炉のときに使うと良いのか?という疑問がありますが、いろいろな説があるようです。

「べ」というの言葉には火伏せの意味がある。とか

ひぶせの「ぶ」がなぜか「べ」ということばになってそこから「べ」のつく物を使おうという事になった。

とか、言われることが多いと思います。
つまり、火事予防のおまじないということですね。

また、曼荼羅の仏部・金剛部・蓮華部からきているなんていう人もいますが、「それは開炉とどういった関係が??」という感じもしますので、話半分で聞いておいた方が良いかもしれません。

いずれにしても出所不明な話しではありますし、あまり昔から言われる習慣ではないとも聞きますので「ま、なんとなくさんべを使おうという話しがあるんだな」くらいの感覚で良いかもしれません。

開炉の時期は一陽来復なのか?

開炉の時期になると「一陽来復」だと言われることが多く、掛物にもそういった文句の物が掛けられたりするのですが、個人的にこれは少し納得がいきません。

なぜ納得がいかないのかというと、一陽来復というのは辞典では

陰が極まって陽にかえること。
陰暦十一月または、冬至をいう。
また、冬が去り春が来ること。新年が来ること。転じて、悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうこと

四字熟語を知る辞典

ということですので、陰暦十一月もしくは冬至の日にいうべきなのでは?と思うからです。

陰が極まって陽にかえる(陽がでてくる)という事であれば、陰の月の陰の日のまさに陰が極まっている最中ナウ(まだ陽の要素はでてないのでは)の時に陽にかえったというのはおかしい感じがしますし、亥の月はまだ陰暦十一月でもありません。
もちろん冬至でもありませんので、開炉の日と冬至ではだいぶ日数が離れている気もします。

亥の月は坤為地(こんいち)と言われるらしく、六十四卦で描くとすべてが陰の線になっています。
つまりどこにも陽の線がないので、陽はまだ入ってきてないのでは?と思ったりしてしまうのです。

しかし、開炉は茶人の正月だと言われることもありますので、そういった意味では一陽来復なのかなとも思いますが、これはちょっと苦しいような気もします。
解釈がおかしいという事でしたら是非ご教示いただきたいと思います。

以上、「炉開き」の亥の子餅・ぜんざい・さんべ どんな意味が?という話しでした。

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