荘り物の「由緒」がややこしい 小習・裏千家茶道

荘り物 お点前
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今回は裏千家茶道の小習で習う「荘り物」の点前(茶入荘・茶碗荘・茶杓荘・茶筅荘)で問答する「由緒」について考えてみたいと思います。

これら荘り物の点前では「由緒のある道具を使いますよ」という事になっているのですが、この由緒というのが、どうもよくわかりづらいと感じます。

稽古をしているときに「伝来と由緒は違うのだ」と、先生から指摘を受けた事がある方もおられると思いますが、なぜ荘り物の点前では伝来ではなくて由緒ということになるのか、お稽古で言う由緒というのは結局何なんだという事を、個人的な勝手な考察で書いていこうと思います。

あくまで私見で書いていますが、由緒に関するモヤモヤが少しは晴れる助けになればと思います。

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お稽古でいう「由緒」ってそもそも何なのか?小習・荘り物

辞書で「由緒」という言葉を調べると

①物事の由来した端緒。物事のそもそもの起こり。また、物事の今に至るゆえん。伝えて来た事柄。来歴。いわれ。
②物事を行う時、その正当性の裏づけとなる事柄。行動の根拠。特に中世、所領諸職を知行するいわれ。
③縁故。縁。ゆかり。

精選版 日本国語大辞典 

ということになっており、上記のような何かしらのいわれのある道具であれば、荘り物の点前に使ってもよさそうな気がします。

ところが、
「紀州徳川家旧蔵の瀬戸金華山の茶入でございます」
なんて言うと
「それは伝来なので由緒とは違いますよ」なんて、先生からの御指摘を受けたりしてしまうわけです。

どうしてこういうことになってしまうのか、先に私なりの結論を言うと

裏千家の荘り物のお稽古の中で使う由緒というのは、
縁があって自分のところに来た茶道具のそれ自体の価値はそれほど大したことが無いけれども、道具を譲ってくれた人に対する敬意の表現として使うもの。
頂いたのに物の価値が大したことが無いなんて言うと怒られちゃいますけど。

一方、伝来というのは、
道具自体に価値があるようないわれで、四ヶ伝以降に頻繁に出てくるもの。

ということになると思います。

この分け方がゼッタイに正しいと言うつもりは全くありませんが、過去に指導をうけた多くの先生方の話を総合すると、そういう様なことになるかなぁと思います。

つまりは敬意を向ける対象が譲ってくれた「人」なのか、伝来のある「道具」なのかという違いになると思います。

敬意を「由緒」にしている 小習・荘り物

「来歴は大したことが無いけれども、譲ってくれた人に対する敬意」ということについて触れていきます。

荘り物は小習なので人に対するお点前

ここで問題にしている茶入・茶碗・茶杓・茶筅荘というのは、そもそも小習事十六ヶ条にある習い事です。

小習の点前の前提としては、「お人に対する点前+道具の扱いの勉強」ですよ、ということは聞いたことがあると思います。

小習はいろいろな人間関係の中での点前パターンの勉強と言ってもいいかもしれません。

貴人点は非常にわかりやすく、貴人に対する敬意の表現をどうしたらよいのかというパターンを勉強するお点前です。

では荘物の場合はというと、荘る道具を譲ってくれた人に対する敬意の表現をどのようにしたら良いのかというパターンの勉強と捉えると良いのではと思います。

つまり、道具を荘るという事をしてはいますが、リスペクトの対象は荘る道具というよりも、それを譲ってくれた「人」ということになります。

道具自体は何でも良いはず

敬意の対象が人ということになると、そもそも荘る道具はスゴイ道具でなくても大丈夫ということになります。

譲ってくれた道具を通して、譲ってくれた人に対する敬意の表現をするというのは非常に日本的な気もします。

そもそも金銭の授受が伴ったとしても、すごく価値のある道具を譲ってくれることなどほぼありません。

「紀州徳川家伝来の家康公より拝領の茶入を先生から頂きました」なんていう状況が一般の人に起こるとはなかなか思えません。

あくまで、何かのお祝いや記念に少し良い物を贈るとか、譲るというのが普通に考えられるシナリオです。

むしろ、それほど大したものではないのに、あえて濃茶の点前で使用する(荘り物は濃茶でするのが本来)という事が、その道具を大事な物として扱うということになり、リスペクト度合いが大きくなるという面もあると思います。

繰り返しになりますが結局、荘る道具は高価な物でなくてOKという事です。

誰から誰へ 自慢たらしくなる問題

由緒を考える上で、「誰に頂いた物であれば良いのか」という事にもいろいろとやかましい先生がたくさんいらっしゃると思います。

つまり、「自慢たらしくならないような由緒を言うべきだ」問題です。

「先生に譲ってもらったものを披露すると、他の客への自慢になるのではないか?」なんていう話しになり、自慢たらしくならないような自然な感じになる方が良いので、頂いた相手はよく考えるべきと指導されることもあります。

私見ですが、「自慢にならないような披露など無い」と思っていますので、誰にもらったら自慢たらしくなって、誰にもらったら自慢たらしくならないということは無いのでは?と思っています。

また、受け取った人が普通の人だと自慢のように見えてしまうなんていう話しもあります。

なので、高貴な方がもらった場合には荘り物が成立するけど、普通の人が披露すると自慢たらしくなるという話しです。

ただ個人的には、○○な人であれば自慢たらしくならない、なんてことは無いと思いますので受け取る人がこういう人なら荘り物の点前ができて、こういう人は荘り物の点前をしない方が良い、なんていうことも無いと思っています。

もらった相手が誰であろうと、受け取った人がどういう人であろうと、偏った見方をすればどんな場合でも自慢たらしいと見ることは可能だと思います。

そもそも、晴れの披露の席でそんなことを思う客は亭主から願い下げだと思います。

”由緒”と関係のある「客」を呼ぶと自然

由緒というものについてはだいたいわかりましたので、次は実際に使ったときのお客様についてです。

荘り物をするときのお客様はどんな方なのか、について少し具体的に考えてみます。
客のことも考えなければ、おかしな空気になるかもしれませんという話しです。

敬意の対象が物ではなくてむしろ譲ってくれた「人」ということになると、お呼びするお客様は道具を譲ってくれた方にするのが一番妥当だと思います。もしくはそれに近い方。

荘り物の点前の由緒と関係のあるお客様を迎えた茶事のですと、わざわざ荘り物の点前をする必要性が出てくると思います。
逆に言えば、由緒とは関係の無いお客様だけになってしまうと違和感があります。

道具を譲ってくれたかたを正客として迎える

道具を譲ってくださった方を正客として迎えるというのが、一番わかりやすい荘り物のやり方だと思います。

逆に言えば、その方を正客にしないと意味が無くなってしまうのではないか?という事です。

茶事の主役である濃茶の時に、敬意の表現として荘り物の点前をするということですから、譲ってくれた方が連客の中でいわば一番敬意を払われるお客様ということになると思います。

そういった方がもしも正客以外になってしまうと、道具を譲った客としては、

「私が譲った道具なのに、なぜ私が正客じゃないのだろうか??」

となりますし、道具を譲っていないのに正客になってしまった方としては

「道具を譲っていない私が正客の時になぜこの点前をやったの??(私その由緒と関係ないよね?)」
「私が正客でない方が良かったのでは?」

となってしまうと思います。

つまり誰が正客になるのかは茶事のテーマにかなり絡んでくるのでかなり重要です。
単に一番お茶の経験がありそうだという事で、正客にできるわけでは無いということになります。

あたりまえな事ではありますが、敬意を誰に向けるべきなのか?を理解していないと見落としがちな点です。

荘り物というのは基本的に濃茶で行うものですので、茶事の中心である「濃茶」で行うという意義を意識しておいた方が自然な感じになると思います。

先生に頂いた道具を荘り、同じ社中を迎える

譲ってくださった方が連客の中にいない場合にも荘り物をすることができると思います。

その場合は、譲ってくださった方に関係する方がお客様であると自然かなと思います。

ありそうなパターンとしては茶名披露の茶事です。

茶名を家元から頂き、そのお祝いに先生から茶杓を頂いた。
そしてその茶杓を使い茶杓荘で茶名披露の茶事を行う、なんて事が想定できると思います。

披露の茶事はお仲間の社中を招いて何度かすると思いますので、最初は先生を正客に招いて茶杓荘、2回目以降は同じ社中のお仲間を招いて再度茶杓荘。
というような事をしても良いのではと思います。

お客様が同じ社中のお仲間でしたら、茶杓を譲ってくださった先生のことはよく知っていますので、「私たちの先生から頂いたのね、よかったね~!おめでとう!」となるとおもいます。

一方、先生の事を全然知らない方がお客さまになった場合、荘物をすることによって表現したい敬意のリスペクト対象である先生を知らないので、
「その先生のことは全然わからないけど、まぁ良かったねぇ…。知らないんだけど。」
というような、お客様にとってはちょっとピンときてない、という空気になったりするかもしれません。

盆香合 和巾点 ではどうなるか 「由緒」

ここまで小習の荘り物の由緒について考えてみましたが、それ以外の点前ではどうなるのでしょうか。

荘り物以外にも由緒を問答する点前(手前)がありますが(たとえば盆香合、和巾点)、のときにはどうなるのかを考えてみます。

盆香合は小習、和巾点は四ヶ伝に準ずる点前ではありますが、ともに釻付の位置にメインとなる道具を置くお点前ですので、これまで見て来た4つの荘り物とは少し事情が異なると考えて良いかもしれません。

釻付というのは、基本的に唐物の道具を置く位置だということになっていますので、それに準じた道具、つまりその道具自体が価値の高いものもしくは、由緒となる譲ってくださった方が高貴な人である、と考えても良いかと思います。

ですので普通の方から譲ってもらった道具という由緒だけでこれらのお点前をするのは少し難しいのでは?という感じが個人的にはします。

とはいえ、指導する先生によって意見が分かれるところかもしれません。

盆香合は小習の中のお点前なのだから人との人間関係における、人に対するお点前だ、と言われればきっとその通りなのかもしれません。
ですが、小習で釻付に置くということをするのは盆香合だけだと思いますので、普通の小習とはやはり違うと考えることもできると思います。

荘り物の「由緒」について まとめ

小習の荘り物の由緒について考えてきましたが、ややこしいものであるのは間違いないと思います。

そもそも、日常生活において由緒を主役にして何かをするという事がほとんどないということも、難しくさせる理由なのかもしれません。

とはいえ、譲ってくれた方に敬意を表す方法が形(かた)として用意されているのは、非常に有難いですし、お茶事のときに実践しやすいなと感じます。

何か茶道具を頂いた時には、荘り物の点前でお茶事を催してみてはいかがでしょうか。

やってみて初めて見えてくるものもあると思います。

という事で、「荘り物の「由緒」がややこしい」という話しでした。

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